ストレートに物を言われるのと、優しくオブラートに物を言われるのはどちらが自分の為になるだろう?もしくは気づかないふり、見ないふりをされることの方がいい?
どっちの方が幸せでしょうか?
自分は人から指摘されることを極端に嫌ってしまう傾向があり、自分が間違っていたことでさえ指摘されてしまうと異常なくらいにへこたれてしまう。そのような態度を見せないよう意識してもどうしても不貞腐れ?オーラが漏れてしまう。怒られているという感覚に陥ってしまうのです。絵に描いたような他責思考だ。
原因は打たれ弱さと、自己愛の強さである。自分の全てを認めてほしい、全肯定してほしい、耳の痛い話は聞きたくない、嘘でもいいので甘い、優しい言葉が欲しいという気持ちの表れだ。絶対メン〇ラ。
自分自身のことは自分で気づかない、分からないものです。前に人から思い込みが強い、自虐的なところがあると言われたことがあった。やはり面と向かって指摘されるとキツい。その時は全く自覚がなく、どこがやねんとなったがこれまでを振り返った時に確かにその節があることに気づいた。口を開けば思い込みからネガティヴな言葉をよく発していた。聞いているほうはきっと面白くないですわ。褒めてもらっても素直に受け取らずそれを否定したりなど。このような考えはやめた方がいいか?そのままでいいか?と考えたら明らかに前者のほうが得策である。指摘されなければ今でも口癖のように言い続けていたと思う。今も時々言うこともあるが気づけただけマシである。
言わない優しさもあるが、はっきり言うことによる優しさもある。よく聞く「君の為を思って言っているんだ」というやつ。そのセリフに関してはまぁただの八つ当たり、言いがかりの場合もあるが。人間本当に見捨てられてしまうと何も言われなくなる。この人には何言っても無駄だ、期待するだけ損だという気持ちになったことは皆一度はあるだろう。そう思われるのはちょっと寂しいよね。そのように多少キツいことを言ってくれる人がいるのはある意味ラッキーな方かもしれない。
おそらく、自分のことをはっきりと言われることが好き、平気だという人はきっといない。自分のこれだけは譲れないものなどを捻じ曲げ、全てを聞き入れる必要はないが人の助言、苦言、指摘などを時には受け入れることも大事になる。
そこを上手くやりくりできればより人間として成長できるに違いない。
それでもキツくいわれるのは自分の糧になることであったとしても慣れないですわ…