ズキカのんびりブログ

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なぜ私たちはSNSに夢中になる?

近年SNSの勢いが凄まじい。代表的なものをあげるとツイッター、ティックトック、インスタグラムなどがある。

SNSがこれほど人気、夢中になる理由を考えてみた。それは認められたいという気持ちと人との繋がりを求めているからだと思う。現実では友達が少ない人でもネットではたくさんの繋がりがあるという人も多いはずだ。

しかしSNSの悪い使い方も目立ちます。いいね欲しさに度が過ぎた言動で問題になることも増えている。よく起きてしまう迷惑行為なども自分を見てほしい、認識してほしいという気持ちの表れでしょう。結果、認識はされたが得られるものは何もない。それどころか失うものばかりだ。

一時期インスタハエという言葉も出回った。インスタ映えの映えをハエと置き換えた言葉である。当時は夢中になりすぎやろと思っていたが、今思うとそのようにいいね欲しさに躍起になるのも理解できる部分もある。自分がこうしてブログを書いているのも他人から認められたい、共感したいという気持ちから来ているからだ(正直)。

自分を求めてほしい欲求が大きくなりすぎるとかえって苦しくなってしまいます。また前回の記事でも書いたように、SNS上で人気、優れている人と比較し劣等感を抱くこともあるでしょう。人は皆、認められたいという気持ちを大なり小なり持っています。しかし本来楽しいものであるはずのSNSで辛い思いをしては意味がありません。そうなる前に、なってしまっている場合はSNSと承認欲求を手放す勇気を持つことが大切です。

私たちはSNSとの向き合い方を再確認する必要があるのではないでしょうか。

嫉妬の塊

今回の記事は、自分の悪い所をさらけ出すスタイルの記事となっております!

 

自分自身を見つめ直して気づいたことがある。それは嫉妬心、被害妄想が少し強い部分があるということです。この世の中には自分より優れている人間がたくさんいます。寧ろそういう人だらけです。具体的にいうと、能力、体格、人気、容姿などでしょうか。本人に対して口に出したり、攻撃的になることはありませんが無意識に相手と自分を比較をする癖がついてしまい、勝手に落ち込むというのがお決まりのパターンとなっている。なんだか自分が否定されたような感覚になるんですよね。被害妄想ヤバっ!

かといって焦ってなりたい自分に近づこうとしても、理想と現実の差がありすぎて余計に苦しむことになるという。生きるって大変ですよ〜!!*1

特にSNSを見ているとそのような感情になることが多い。多いフォロワー、優れた見た目、人気などを博している人がゴロゴロいる世界。特にブログをやっている自分からすれば全てを兼ね備えた彼らを見る度に羨ましさでおかしくなりそうになってしまいそうになる。一方的に嫉妬されて相手からすると傍迷惑な話ですわ!相手は何一つ悪くないという。人の成功を認められるような人にならなければいけませんね。

このままではいけない!と思い行動に出た。ツイッターはアカウントを削除し、インスタグラムも自分の知り合い以外の投稿は極力見ないことを心掛けるようにすると。

自分がなんだか生きづらいと感じる1つの原因に嫉妬深いところがあった。そういった負の部分を深掘りし、表面化することにより解決策を見つけ出すことが自分が生きやすくなることへの手助けとなるでしょう。

自分を愛することは大切。しかし、すぎるとダメなんですよね。うーん、難しいわ。

*1:;_;

SNSをやめてみた!

1週間前から体調を崩してしまいブログの更新ができなかったため、久しぶりのブログ投稿となっております。

タイトルの通り、SNS(ツイッター)をやめました。ツイッターを始めて10年以上が経ち、これまでの自分の生活の中心にいつもツイッターがいて、起床したらまずツイッターを開く生活。テレビを見ることもないため情報収集は基本ツイッターで行っていました。特にコロナが流行した頃から利用頻度が更に増していき、気づけばこの頃からよりネット中毒に陥っていったような気がします。

今やツイッターを使用していない人はいないのではないでしょうか。

ツイッターは魔境で一度開くと永遠に見てしまいます。自分が興味のある話題に手軽にアクセスできるのが魅力で、また面白いと思える投稿も数多くあるものやめられない要素の1つ。

しかしいいことだけではなく、反対に興味のないものや、気分が下がるような内容もどんどんおすすめに掲載されます。誰か分からないような人のレスバが流れてきたり、他人叩きなどが毎日毎日流れてくるのは精神的にいいはずがありません。しかしネガティブな内容ほど不思議と見入ってしまう悪循環。良くも悪くも人は議論をする、見るのが好きなのかもしれない。掲示板、ネットニュース、YouTubeのコメント欄が荒れがちなのはそういうことなのかと思うことがあります。

また最近は全く関係のない内容に、トレンド、#をつけて投稿するインプレッション稼ぎも目に付き肝心な情報にたどり着けないことが増えました。

見たくなくても見てしまうそんな自分に嫌気が差してしまい長年使用していたツイッターを手放すことにしました。自分の作成したブログを毎回ツイッターでもシェアしていてそこから自分のブログへ訪れてくれる方もいたためそこだけは痛いところ。

アカウントを削除してまだ数日間経ちましたが、意外にも不便さはなく、案外ないのならないなりに平気なのかもしれない。

ネガティブな感情が消え、心の豊かさを取り戻せるのならばツイッターの1つ手放したことに何の後悔も残らないでしょう。

【男性向け】光脱毛は効果はあるがおすすめできない

近年、女性のみならず男性の脱毛が身だしなみの一環として受け入れられる時代となっている。

今回の記事では髭の光脱毛を約2年通っての変化や感じたことを綴っていく。

 

タイトルの通り、光脱毛はおすすめできない。詳しく説明していく。

もちろん全く効果がないわけでは無く効果も実感した。照明を当てた部分も髭が抜け落ちる(ポップアップ現象)も経験し、薄くなった部分や生えてこなくなった部分もあり気持ち髭の剃り心地も変わったような気がした。

しかし前提として光脱毛は抑毛、減毛である。そのため髭剃り自体は続けなければいけない。完全に生えてこないようにしたい、ハイジニーナ状態にしたいのであれば医療脱毛一択だ。

また光脱毛は通わなくなると、脱毛の効果があった部分から再び生えてきてしまう。(1ヶ月ほどで元通りになった)このように永久的に通わなければ今までの過程が水の泡になってしまうのだ。

恐らく脱毛を考えている人は髭に悩んでいる人で減耗ではなく永久脱毛一択の人が大半だろう。しかし医療脱毛は人によっては気絶する程痛いという説もあり手を出しにくい人もいるでしょう。僕が経験した光脱毛でも、一番高いレベルの出力で打ってもらったがかなり痛みがあった。医療脱毛を行う勇気がなかったため光脱毛にしていたが、どうせ痛いのであれば医療脱毛にしておけばよかったという気持ちはある。

費用に関しては一回の照射は光脱毛が断然安いが、半永久的に通わなければならない光脱毛と一回の費用は高いがより効果が実感できる医療脱毛、長い目でみると断然医療脱毛の方がお得である。

 

髭も髭で要らないから剃ってるわけなので学習能力持って生えてこないでほしい。

必要ないという意識をもってほしいものだ。

生きるということは冷酷であること

今回の記事は少し内容が暗いものとなっており、記事にしようか迷いました。

ブログのいいところは自分の考えをありのままに表現できるところだ。ということで自分の思いを綴りました。

 

あなたが生きていく中で大切にしているものはあるでしょうか?

僕が思う生きていく際に必要なものは意外にも非情さであると思っている。

これまでずっとその考えであったかというとそうではなく、どちらかというとウジウジしているほうだ。ここ数年で思うようになった思考だ。

次へ進むため、理想の人生を歩むには時に切り捨てるという潔さが必要となる。例えば長年一緒にいる恋人がいるとしましょう。しかしある日突然どうしても好きになれなくなり、一緒にいることが苦痛で楽しいと感じなくなり、ついには別れたいと思ったときにあなたは長い間共に過ごした相手に別れを告げる勇気はありますか?きっと難しいでしょう。相手に対して情が芽生えているからです。別れを告げたら傷つかないかな、辛い思いをさせてしまわないかと考えるのは自然なことである。また極端な例ではあるけど、別れに対して納得できない相手が付きまとってくる可能性も否定できない。そう考えると中々行動に移すことは難しいと言える。

しかしそのような自分のなかの不満を抱き続けてしまうとどうなるだろう?答えは簡単で自分自身がずっと苦しむことになるということだ。相手を思いやる気持ちは本当に大事なことであるが、相手を苦しめないために自分が苦しむのは正解といえるでしょうか?

恋愛のみならず、仕事も一緒だ。転職、退職したいという扉から今にも飛び出そうな気持ちを鎖で封じ込み、お世話になった同僚、上司、後輩に申し訳ない、仕事を増やしてしまうというといった考えを言い聞かせ続けても自分の野望、幸せをつかみ取ることはできない。お世話になったという気持ちは大切にしつつそれとは切り離して考えることが自分軸で生きている人だ。

優しさ、慈悲深さは私たちの人生に必要不可欠で、そのような気持ちは忘れてはいけない。それと同時に冷酷に、非情になるということも時には自分らしく生きていくために武器となる

自分がこの考えである為、もし僕の周りの人が自分の元から離れていったとしてもそれを受け入れることができるだろう。寂しくはなるだろうけど受け入れる準備はできている。

(祝)50記事達成しました。これまでを振り返る

本日の記事で50記事を達成することができました。

9月の初め時点で30記事手前程であった為、この1ヶ月でかなりの頻度でブログ更新をできたことになる。楽しみながらブログを書いていたがそれでも途中大変だなと思いながら過ごしていたことも多かった。アクセス数が伸びたり、悪い時は全く伸びなかったりなど浮き沈みも経験し改めてブログの楽しさと同時に難しさ、大変さも感じた。

 

そのような状況でもブログを更新を続けていたら思いもしないことが起きた。それがグーグルアドセンスの審査を通過できたことである。かなり合格率が低いとされているのにも関わらずそれも1発でである。夜中12時にグーグルから来た通過連絡のメールをスクリーンショットし今でもデータフォルダに保存している。

 

運ってあるなと。審査を申請するタイミングがもしずれていたら不合格であったかもしれない。幸運が味方をしてくれました。もちろん運だけでなく

自分のブログにたどり着いた人、読者の人などの存在も大きい。

ありがとうございました。

 

今後は当ブログをより成長させる為に、ソーシャルメディアを使った拡散にも力を入れていく予定だ。

 

ちなみに総アクセス数が現在995回で、あと5回のアクセスがあれば、目標の1000回到達である。

自分は毛虫

ここ最近自分は散歩に出かけることが多く、その中でもよく行くのが、以前から散歩目的で頻繁に訪れていた池だ。一周するのに約12~13分ほどかかる割と大きめとなっており散歩にうってつけの場所である。

これまではほとんど意識していなかったが池の周りを歩いていると、バッタ、鴨、スッポンなど様々な生物がいることに気づいた。数日前に散歩をしていてふと足元を見た際に毛虫がおり思わず飛び跳ねてしまった。何故なら図体がそこそこ大きく、2体ほど一緒にいたからだ。正直言うと毛虫は見た目が美しいともかわいいとも言えません。どちらかと言えば害虫に分類されるまである。できることなら視界には入れたくないという人もいるでしょう。自分もかなりの虫嫌いである、それなのにどうしてか分からないけど、毛虫のひたむきに歩いている姿に思わず散歩中の足を止め、目で追っていた。見守るという感覚だ。しばらく眺めた後再び散歩を再開し、周りを一周し再度毛虫がいた場所に行くとまだ同じ場所にいた。のんびり屋さんなのか、立ち止まっていたのか、歩くことに疲れていたのかは不明であるがそんな彼らの姿を今の自分と重ねていた。

そんなちっぽけな存在で毛嫌いされがちである毛虫がサナギとなりやがて蝶となる。毛虫のあのような見た目から、華麗な蝶へと変貌を遂げるなんて誰が想像するでしょうか?成長する過程というのは泥臭いものできっと美しいものではないのかもしれない。気に留めてもらうこともなく途中で人知れずに踏みつぶされることだってあるよね。それは人間も一緒なのかなと思った。今度は植物に例えてみる。咲き誇った花は綺麗である。しかし花が咲くまでは誰にも認知されず認めてもらえない。それでも努力し、ひたむきに生き続けることでちょっとずつ芽が出始め、やがて花が咲いたとき初めて他人から認めてもらえる。しかし突っ走るだけでなく自分への水やりを忘れてもいけない。何度立ち止まっても、辛い思いしたとしても自分の歩幅で生き続けたい。そして自分もいつか毛虫から蝶のような存在になれる日が来るのでしょうか?

 

 

蝶でなく蛾になる可能性もありますが…

 

 

散歩の際に訪れるため池