ズキカのんびりブログ

ブログ訪問ありがとうございます。

公衆のゴミ箱が溢れかえる理由

お祭り、ハロウィンのような人が大勢集まるイベント後に気になるのはゴミが散乱状態となっていることです。私の家の近くにも神社があり、時々お祭りをしているのですが翌日そこを通るとゴミ箱から溢れて入りきれない量のゴミを見ることがあります。ペットボトルのゴミ箱に何故か瓶が突っ込まれていたりなど無法地帯状態です。一体どうしてこのようなことになるのか理由を考えてみました。

まず挙げられるのはゴミ箱が不足していることです。このようなイベントでは数多くの屋台があり飲み食いが終わった後にポコッと捨てるゴミ箱が存在しない、もしくは不足していることにより手荷物が無駄に増える状況となります。そうなると何としてでも手持ちのゴミを処分したい心理に駆られるでしょう。そこで人々は見てしまいます。ゴミが溢れれいるゴミ箱や、辺りに散乱しているゴミたちを。

人は無意識に散らかっている、汚れているところは何してもいいという考えになるもので、1人がこのようなことをすると次々と連鎖しその積み重ねがあのような状態になってしまいます。どうせ散らかっているんだからいいんじゃない?という状態に陥るのですね。

イベント以外でもこのようなことはあります。以前、とあるスーパーへ行った際に駐車場や周りに異常なくらいのタバコの吸い殻が落ちているのを見ました。さすがに拾った方がいいかなと考えました。しかし私もこのようにブログで偉そうなことを言っていますが見て見ぬふりをしているのが正直なところです。もしゴミを捨てるビニール袋などが手元にある場合は拾うよう心がけています。

このように誰かが身勝手に捨てたゴミは誰かが拾っているということを私たちは再認識していかなければいけません。

(感想)ブログ収益化してから1ヶ月半の収入

当ブログの収益化をしたのが9月20日となっており、約2か月近くで得た収益をざっくりとお話しします。(規約などがあるのかはわかりませんが念のため大雑把に)

収益開始日から今日までの収益額は60円ほどです。まぁ、大きな額とは言えません。

9月20日から9月30日までの収益が20円ほどで、10月から10月月末の収益が30円ちょっとでした。

自分のブログ活動の結果の表れで、もうちょっと頑張っていればと思うこともありますが…。

当ブログへのアクセス数が一日20回ほど、日によってはアクセス数が40近く行くこともありますが大体20回が多く、少ない日はアクセス数が一桁、もしくは0の日もあります。10月は9月に比べ記事を作成できなかったのと、集客のために使用していたTwitterを削除し、ソーシャルメディアから当ブログへ訪問してくれていた方がいなくなってしまったのも今回の収益の結果に繋がっていると思っています。

それから詳しいことがわかりませんが月によって広告の単価?が違うらしくそれらも関連しているのではないかというのも考えられます。

 

しかし自分のような知名度、人脈があるわけでないブログ初心者のぽっと出が、少額であっても自分の力でお金を得たことによる喜びを感じることができました。やり方次第では今以上に収益を増やしていけるかな~。また収益だけでなくコメントも初めてもらい、誰かに自分の考え思いが届いた嬉しさからブログを始めて、続けて良かったと思いました。

計画的に行きすぎるよりも大事にしたいこと

何かをする際、計画から立てて実行に移すと言う人が大半でしょう。もちろんそれも重要なことですが、その時その時の気分や状況でやり方を変えたり、行動していくということも悪くないなということを今回の記事で共有したいと思いました。

 

自分は物事を始める際は、事細かく計画を立てるこ習慣がありません。どちらかというと何かしたいことが見つかったら深く考えずに飛び込んでいく方です。その分失敗することも多いんです。(汗)

例えば友人と遊びに行く場合、何時に何処何処へ行って、〜時に解散などは考えません。その時の気分や状況などを踏まえ基本ノリで動くので、几帳面の人からしたら野蛮、時間にルーズ、非効率に見えるかもしれません。仕事や学校であればともかく遊びに行くのにも緻密な計画を立てて行動するのは義務のようなものを感じ窮屈に感じてしまいます。僕個人の意見としては、楽しいことをしている時くらいルーズに生きていたいものです。

だからと言って計画を立てることを敵視しているわけではなく、事前にきちんと計画を立てることにより時間を有効に使うことができ、ダラダラせず効率的に動くことができるというメリットもあります。

しかし、計画を立てたとしても、思った通りにいくことはほぼありません。計画というのは言うならば理想であり、それらが自分が思い描いた通りにいかない場合には憤りを感じてしまうこともあるでしょう。そんな時に自分のやり方や、計画に囚われすぎると柔軟性が失われしまいます。中々難しいことですが時には思い描いているものを手放し別方向へ舵を切ることも大切なことだと思いました。

深い関係よりも浅い関係のほうが良かったりする

人間関係を構築していくうえで重視していることは人それぞれだと思います。狭く深く付き合いたい人、広く狭く付き合いたい人。一方が悪いといった良し悪しを決めるわけではありませんが、色々と考えた結果、僕はその間を取って狭く浅い関係を築くことが一番バランスの取れた付き合い方だと思うようになりました。

狭く深い関係を築くにはお互いが本音でいる必要がありよく言えば親密、悪く言えば隠し事なしの関係となります。浅い関係を重視している人にとっては息苦しい関係と言えるでしょう。全てを共有する少し束縛に近い状態です。

次に広く浅い関係は多くの友人を作るが、前者と違い距離を置いた付き合い方です。深い関係を構築したい人にとっては薄っぺらい、希薄(ドライ)な人間関係に見えてしまうこともあるでしょう。ほとんどの人はこちらに該当していると思います。

ではなぜ僕が広いより狭い深くより浅い関係の方がいいと思った理由は、ストレスを一番感じない関係だと思うからです。広い関係だとその分様々な人間がいるということ、つまり一人は必ず自分と合わない人間が存在するということだ。気の合う人とだけと付き合えるなんてことは生きていくうえで難しいことだが(特に仕事など組織では)、できる限り付き合う人は選択したいですよね。狭い関係は一見孤独に見えがちだが、付き合う人が少ない、かつ自分が選んだ気の合う人である為衝突も起きにくいのが利点です。

次に深い関係だと、必然的に付き合いが増えることや、秘密にしたいこと、言いたくないことも言わないといけない空気になることがある。内向的な性格ではこのような関係は負担に感じるだろう。浅い関係は、言い換えれば上辺だけの関係。しかしそれが自分自身を保護するために必要なものだと考えています。年に数回会い、連絡を取り合い他愛のない話をする。そのような関係性が一番気楽である。

自分は学生時代、特に中学生の時は仲のいい友人とは毎週のように遊ぶことが楽しみでした。休日にひとりなんて考えられないと思っていた程に。高校に入学してからは住む場所が別の県に変わり以前のように休日に人と会うことはほぼなくなっていきました。入学してからしばらくしてからは交友関係も少しは広がっていったが依然と比較するとその数は断然少ない。寂しくなかったかといえばウソになる。

今思うと学生時代の付き合い方は浅い関係だと思います。会話の内容は年齢を重ねるにつれて変化していきますが、学生時代の会話の内容は、大人と比べると浅めのものが多い。趣味、ゲーム、ファッションなど。なので必然と楽しい、居心地のよい人間関係となります。

では大人はどうでしょうか。結婚、病気、政治、お金、仕事関係など深く、重めのものが多くあまり人に大っぴらに話せない内容だ。こういった内容をあまり知られたくない、話したくないといった人は自然と友達が減っていく。大人になると友達ができない、いなくなるという人が多いのはそういうことだと思いました。

心に余裕がなければ器量が狭くなっていく

人間、考え事や悩み事だらけになると自分でも気づかないうちに性格が悪い方へ変わっていくなと実感します。逆に楽しいことをしている時や前向きな気持ちでいると考え方もいい方向へと変わっていく。

この数か月、もやもやが大きくなりすぎて自分でも自覚があるほどに性格が悪くなっていました。(とはいっても過去にもそのようなことは何度もあった。)相手のちょっとした行動、言動が許せなく腹を立て、時には不満を口にしていました。また腹を立ててはインターネットに入り浸り同じようにイライラしている人を探すためネットサーフィンしたり。そのような状態になる時は決まって心に余裕がない時でした。日常生活、特に仕事中にそのような思考に陥ることが多くありました。例えばお客さんの会計が遅い、不愛想、返事をしない、作業の手を止められる。これらは業務中であればよくあることですがどうしてもイライラを抑えきることができません。器量が狭くなっているが故に相手の挙動一つ一つが許せない人間になってしまっていたのです。自分の心に余裕があればこのようなことに対しきっと何も思わない…とまではいかなくても愚痴をこぼす、著しくイライラすることまではなかったと思います。

このループを断ち切るにはどうするべきか?解消可能な悩み、不安事を少しずつ片づけていくこと。それから悪口を言いそうになった時、悪口大会になりそうな時にそこから距離を置くことが大切になります。

不平不満は底なし沼でとくにネガティヴな状態であればどんどん出てきてしまうもので、吐き出すことによって気が楽になることから気づくと抜け出せない状態に。悪口を言っている時、何故かスラスラと出てくるんですね。語彙力も上がる気がする。表情も悪い意味でイキイキ状態に。以前悪口を言わない代わりに紙に書いてみるといい(悩みも紙に書くことをおすすめします。)と教わり実際実践してみると口に出すよりかはまだマシだと思いました。しかしSNSに書くのはおすすめしません。その内容を見た人が寄ってきて輪が大きくなって…となると口で言っているのと変わらなくなるからです。悪口を言わない人間は存在しないと思うが程々にしなければ、そういう人間になってしまいます。

この世の中を生きていく秘訣はいかに自分自身の負担を減らすことかであります。

心の負担が軽くなればネガティヴからポジティヴになり他人に対し寛大になれるでしょう。何であんなことで腹を立てていたのだと思える日が来るかもしれません。

現在自分も考え、悩みはたくさんありますが解消方法を探していくことが重要だなと感じています。

なぜ私たちはSNSに夢中になる?

近年SNSの勢いが凄まじい。代表的なものをあげるとツイッター、ティックトック、インスタグラムなどがある。

SNSがこれほど人気、夢中になる理由を考えてみた。それは認められたいという気持ちと人との繋がりを求めているからだと思う。現実では友達が少ない人でもネットではたくさんの繋がりがあるという人も多いはずだ。

しかしSNSの悪い使い方も目立ちます。いいね欲しさに度が過ぎた言動で問題になることも増えている。よく起きてしまう迷惑行為なども自分を見てほしい、認識してほしいという気持ちの表れでしょう。結果、認識はされたが得られるものは何もない。それどころか失うものばかりだ。

一時期インスタハエという言葉も出回った。インスタ映えの映えをハエと置き換えた言葉である。当時は夢中になりすぎやろと思っていたが、今思うとそのようにいいね欲しさに躍起になるのも理解できる部分もある。自分がこうしてブログを書いているのも他人から認められたい、共感したいという気持ちから来ているからだ(正直)。

自分を求めてほしい欲求が大きくなりすぎるとかえって苦しくなってしまいます。また前回の記事でも書いたように、SNS上で人気、優れている人と比較し劣等感を抱くこともあるでしょう。人は皆、認められたいという気持ちを大なり小なり持っています。しかし本来楽しいものであるはずのSNSで辛い思いをしては意味がありません。そうなる前に、なってしまっている場合はSNSと承認欲求を手放す勇気を持つことが大切です。

私たちはSNSとの向き合い方を再確認する必要があるのではないでしょうか。

嫉妬の塊

今回の記事は、自分の悪い所をさらけ出すスタイルの記事となっております!

 

自分自身を見つめ直して気づいたことがある。それは嫉妬心、被害妄想が少し強い部分があるということです。この世の中には自分より優れている人間がたくさんいます。寧ろそういう人だらけです。具体的にいうと、能力、体格、人気、容姿などでしょうか。本人に対して口に出したり、攻撃的になることはありませんが無意識に相手と自分を比較をする癖がついてしまい、勝手に落ち込むというのがお決まりのパターンとなっている。なんだか自分が否定されたような感覚になるんですよね。被害妄想ヤバっ!

かといって焦ってなりたい自分に近づこうとしても、理想と現実の差がありすぎて余計に苦しむことになるという。生きるって大変ですよ〜!!*1

特にSNSを見ているとそのような感情になることが多い。多いフォロワー、優れた見た目、人気などを博している人がゴロゴロいる世界。特にブログをやっている自分からすれば全てを兼ね備えた彼らを見る度に羨ましさでおかしくなりそうになってしまいそうになる。一方的に嫉妬されて相手からすると傍迷惑な話ですわ!相手は何一つ悪くないという。人の成功を認められるような人にならなければいけませんね。

このままではいけない!と思い行動に出た。ツイッターはアカウントを削除し、インスタグラムも自分の知り合い以外の投稿は極力見ないことを心掛けるようにすると。

自分がなんだか生きづらいと感じる1つの原因に嫉妬深いところがあった。そういった負の部分を深掘りし、表面化することにより解決策を見つけ出すことが自分が生きやすくなることへの手助けとなるでしょう。

自分を愛することは大切。しかし、すぎるとダメなんですよね。うーん、難しいわ。

*1:;_;